東京駅から東北新幹線のやまびこ号に乗る。
やまびこ号の車窓から。福島駅あたりまで曇り空で、天気が心配だったのだが・・・。
仙台駅を過ぎたあたりから、きれいに晴れる。
東京駅から2時間半ほどで新花巻駅に着く。
ここからは釜石線で遠野駅へ。
新花巻駅からは快速列車45分で遠野駅に到着。
明治時代あたりに作られた和洋折衷の洋館といった雰囲気の駅舎。2階部分はホテルになっている。
最初はここに泊まりたかったのだが、予約しようとしたときには満室だった・・・。
駅近くの観光協会でレンタサイクルを借りて、あちこち周ることにする。
まずは遠野昔話村から。
この建物は、柳田國男が「遠野物語」を書くために滞在した高善旅館を
移築保存した「柳翁宿(りゅうおうじゅく)」 で、中も見学できる。
別の建物では、地元の語り部さんが語る昔話も聴ける。私のときは、2つお話を聞かせてもらった。
どこかで聞いた事のあるようなないような、メデタシメデタシで終わるような昔話だった。
遠野では、昔話は必ず「ドンドハレ」と言って終わるようですが。
続いて五百羅漢へ。
今から200年以上前に、大慈寺の義山和尚が大飢饉の犠牲者の供養のために、
岩に羅漢像(羅漢とは、仏教で尊敬すべき修行者のことらしい)を彫った場所。
一見、ただ岩が転がっているように見えるが・・・
よく探してみると、人の姿が彫ってあるのが分かる。
こういうのが500体あるらしんだが、私には10体程度しか見つけられなかった・・・。
それにしても、岩の像を500体彫るなんて、気の遠くなるような話だなぁ・・・。
こちらは卯子酉(うねどり)さま。
恋の願いを書いて結ぶと願いが叶うそうで、境内の無人売店では赤い布が売られている。
そんなわけで境内は真っ赤。
一部だけど、自転車道路が整備されているところもあり、自転車で周るのに便利。
ススキがきれいな場所もあったりして、なかなか気持ちよい。
でも、遠野駅付近から続石や千葉家の曲り家までいくのは、ちょっと遠かった・・・。
続石や千葉家の曲り家までは、遠野駅から自転車でも30分以上はかかる。
途中、道沿いにこんな花がしばらく続く道があったりする。
これは途中で見かけた不思議なもの。シャッターみたいに鉄の板が下ろせる作りになっているみたい。
ここ以外にも、道と畑の境目あたりにこういうのがあるのを見かけた。一体、何に使うものなのだろう・・・?
やっと続石への入り口に到着。
鳥居の右にある立て看板には「熊に注意」と書かれていた。
音の出るものを持って入って下さいとか書いてあって、ちょっとためらうが、やっぱり入る。
結局、熊には会わなかったけどね。
続石の近くには、弁慶の昼寝場という場所が。
この辺の岩を枕にするには、硬すぎるんじゃないか?とか思ったり。
で、これが続石。
上の写真では、比較対象になるものがないので大きさが分かりにくいが、3、4メートルくらいはあった。
正面から見ると、こんな感じ。
岩と岩との間には、人一人分が通れるすきまがある。
誰が何のためにこれを作ったものかは分かっていないらしい。
こんな大きい石は簡単に動かせるものではないし、謎だ。
古代巨石文化の残したものとも、弁慶が作ったものとも言われてるらしい。
近づいてみると、上の石は片方の石にしか乗っていないことに気づく。
左側の石と上の石の間には、こんな隙間が。
微妙なバランスで片側の石だけに乗っている。ますます謎な石だ。
近くには泣石と呼ばれている石もある。
昔、弁慶が続石を作ったとき、最初はこの石の上に石を載せたが、
「俺は位の高い石なのに、これからずっと他の石の下になるのは残念だ」
みたいな事を言って泣いた石だそうだ。
で、今もその涙の跡があるそうだが、私の目では見つけられなかった・・・。
それにしても、一見ただの石にもこんな逸話がつくというのは面白い。
そして、千葉家の曲り家。わらぶき屋根が立派な建物。今も人が住んでいる。
左に目を移すと、馬小屋がある。
人が住む部分と馬が住む部分がくっついて、角の部分が家の入り口になってるのが特徴。
昔この辺りでは、豊かな農民はみんなこういう作りの家に住んでいたらしい。
この馬小屋の中は展示室になっていて、昔のものとかが展示されてた。
この日の観光は、これで終わり。
ここから自転車で遠野駅に着いた頃には、日が暮れかけてた。
駅前にはカッパの顔をイメージした交番が。片目がこっちを見てます。
真っ赤に光る鼻?口ばし?が、なんか変。
この日は、駅近くのビジネスホテルで一泊。
夕食は、別の場所で「ひっつみ」という「すいとん」みたいな汁物の料理を食べた。
私が食べたのには、ネギやゴボウといった野菜に小麦を練ったものと鶏肉が入っていて、
なかなかボリュームもあっておいしかった。